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大阪高等裁判所 昭和44年(ネ)520号 判決

控訴人 宗教法人岡安神社

被控訴人 四ツ谷中組部落会

主文

控訴人の第四次請求に基づき、被控訴人は控訴人に対し三二万四五二〇円を支払え。

控訴人の本件控訴並びに当審における新たな第一次、第二次請求及び第四次のその余の請求を棄却する。

控訴審における訴訟費用はこれを五分しその四を控訴人の負担としその余を被控訴人の負担とする。

この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  第一次、第二次請求

被控訴人は控訴人に対し四六万三六〇〇円及びこれに対する昭和三九年六月一日から右金員完済まで年五分の割合による金員を支払え。

4  第三次、第四次請求

被控訴人は控訴人に対し三二万四五二〇円及びこれに対する昭和三九年六月一日から右金員完済まで年五分の割合による金員を支払え。

5  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

6  仮執行宣言

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二主張及び答弁

A  被控訴人の請求

一  被控訴人主張の請求原因(入会権の存在確認)

1 京都府船井郡五ケ荘村(現在日吉町)字四ツ谷区の中には、部落として、東組(東谷)、北組(海老谷)、南組(吉野辺)及び中組があり、右中組部落は、四ツ谷区中組地域を基礎とした社団性を有しない中組部落住民の集団であつて、総代、伍頭等の職制によつて運営されて来た。昭和三一年四月一日、部落住民の総意により中組部落会規約を制定施行し、部落内に居住する者全員をもつて構成員とし、その代表者として部落会長が会務を統轄し、決議機関としての定例総会、臨時総会があり、部落総会の運営等を担当する社会部、従来の農家実行組合の業務等を担当する産業部、会計、積立金、部落共有財産の管理等を担当する経理部等の組織を有する権利能力なき社団たる被控訴人として発足し、中組部落の有した一切の権利義務を承継した。

2 京都府船井郡日吉町字四ツ谷小字家ノ上四三番山林四町歩(通称宮山)(以下単に本件山林という。)は、かつて、前記四ツ谷区の区有林であつたが、右四ツ谷区は、明治四一年二月二五日、同区民の氏神で無格社であつた岡安神社の社格を昇進させるため、本件山林を他の山林とともに右神社に寄附した。右神社は、太平洋戦争後、宗教法人たる神社として控訴人となり、岡安神社の有した一切の権利義務を承継したので本件山林の所有権者となつた。

3 前記中組部落は、本件山林に最も近接していたが、部落住民は、明治時代以前から、本件山林で、小柴、落葉、肥草、正月飾用小松等自然産物を採取する入会権を有していた。明治中期以来、その濫獲濫伐を自粛防止し、特に松樹の伐採を禁止して育成につとめた結果、自然生の松樹が次第に成長し、毎年秋季に松茸その他食用菌類が盛んに発生するようになり、これに伴い地方の慣習により権利内容が拡大変化し、これをも採取することを内容とする入会権に発展するようになり、前記のとおり明治四一年頃、本件山林を岡安神社に寄附した際にも右入会権を留保して所有権を移転したものである。

仮に、右のように入会権を有しなかつたとしても、中組部落は、民法施行の明治三一年七月一六日以降、又は、後記松茸山に対する規約作成の明治四二年九月以降、右内容の入会権を行使する意思のもとに平穏かつ公然に本件山林から自然の産物を採取して継続的、表現的に右権利を行使し、その始め善意にしてかつ無過失であつたから、一〇年を経過した明治四一年七月一六日、又は、大正八年九月に入会権を時効取得した。仮に、過失があつたとしても、二〇年を経過した大正七年七月一六日、又は、昭和四年九月に入会権を時効取得した。被控訴人は、中組部落の一切の権利義務の承継者として、昭和四四年一〇月八日及び昭和四七年六月二七日の控訴審の口頭弁論期日において時効の利益を援用した。

また、仮に、被控訴人の取得した権利が入会権といえないとしても、慣行により松茸等食用菌類を採取することのできる法例二条による慣習法上の権利であると解すべきである。

4 中組部落は、明治四二年九月ごろ、岡安神社維持費の一部に充当するため、前記松茸類採取権を毎年発生期前に同部落住民の入札に付し、落札金のうち一割相当額を売却費用として控除し、残余金を右神社に対する寄附金と同部落の公共費用とに配分する旨の松茸山に対する規約を制定実施した。右規約の制定は、これにより入会権を取得したものではなく、従前から存在した入会権を確認しなお存続維持させるために右部落住民全員と中組部落内山林所有者のほかに、岡安神社の宮司、部落役員合意のうえ作成したものである。

その後、規約の改正により、右売却費用控除分を五分相当額とし、残金九割五分相当額のうち控訴人への寄附金は七割相当額とし、被控訴人の取得する公共費用は三割相当額とするようになり、現在も右のような慣行が存続している。

5 以上のように、本件山林の所有者や入会権の主体に変遷はあつたが、しかし、入会及び落札金配分の慣習は存続し、現在でも控訴人所有の本件山林に、被控訴人が松茸類を採取する入会権を有しているものであつて、右は、民法の共有の性質を有しないものである。

しかるに、控訴人は、右入会権及び慣習の存在を争い、被控訴人の松茸類採取権の売却は控訴人の委任に基づくもので、かつ、その委任契約は終了した等と主張している。

よつて、被控訴人は、原判決請求の趣旨記載のとおり前記入会権の確認と予備的に松茸その他食用菌類の採取権の落札金の分配についての慣行(権利又は法律関係)の存在確認を求めるものである。

二  請求原因に対する控訴人の答弁

被控訴人主張の四ツ谷区に、主張のように四つの部落があること、本件山林が、かつて右四ツ谷区の区有林であつたこと、その頃、部落住民が本件山林に入り、小柴、肥草を採取し後に松茸類を採取していたこと、右四ツ谷区は、明治四一年頃、本件山林を同区民の氏神で無格社であつた岡安神社の所有としたこと、同神社は、太平洋戦争後、宗教法人たる神社として控訴人となり、岡安神社の有した一切の権利義務を承継し、本件山林の所有者となつたこと、松茸類採取権を売却して得た金員について売却費用として五分相当額を控除し、残金のうち七割相当額を控訴人が、三割相当額を被控訴人が取得するものとしていたこと、控訴人が、被控訴人主張の入会権及び慣行の存在を争い、被控訴人の松茸類採取権の売却は控訴人の委任に基づくもので、かつ、その委任契約は終了した等と主張していることは認める。その余の事実は否認する。

本件山林が四ツ谷区の所有であつた頃は、その部落住民が右山林に立入り、柴草、肥草等農業経営や生活のための物資を採取していたが、明治初年以来文明が進歩して金肥を使用するようになり、本件山林での右採取の必要は減少して来た。明治四一年頃岡安神社が本件山林及び四ツ谷区所有の長谷山の山林約二〇町歩の所有権を取得した後は、同神社がこれを管理、収益し、これで四ツ谷区の同神社に関する費用の負担を軽減し、同神社の経済的基礎が確立された。同神社は大正初期に村社に昇格し、独立した会計をもち、氏子総代の補助を受けながら植林をする等したので、村民は柴草や肥草の採取をすることはなくなつたが、これを採取する時はその対価を支払うようになつた。しかも本件山林は岡安神社の上方に位置していた関係上四ツ谷区所有の頃から松樹は切らないようにしていたため、松樹は次第に成長するに至つた。明治後半頃になつて、控訴人所有の他の山林や本件山林附近から松茸類が産出するようになり、明治四二年九月被控訴人主張の松茸山に対する規約が作成されるまでは松茸類の採取は勝手であつた。当時は、中組部落は、同部落内の松茸類の採れる山林の所有者の委任又は準委任を受け、松茸類採取権を入札の方法で売却し、売却代金から費用を差引き、残金の一部を中組部落が手数料として受取り、他を山林所有者に地料・地代・山手代等の名目で支払つていた。本件山林に松茸類が産出するようになつたのは昭和一〇年頃であつて、岡安神社は部落住民に松茸を採取させて山手金を受取つていた。したがつて、明治四二年九月制定したよう規約は、本件山林に関するものではなく、その当時松茸類を産出していた山林に関するもので、岡安神社は右規約の作成に関与しなかつた。また中組部落が松茸類の採取権の入札、その代金の分配に関与するようになつたのは、右規約によるのが始めてであつて、その以前は何らの権限もなかつたのである。控訴人と被控訴人との法律関係は、他の山林所有者と被控訴人の法律関係と同様であつて、委任又は準委任であり、入会権ではない。したがつてまた、被控訴人は地域集団としての部落であつても、入会団体ではない。

三  控訴人の抗弁

仮に、被控訴人が、本件山林について、その主張する入会権を有するとしても、それは共有の性質を有しないものであるところ、かかる入会権は、その対価を支払うべきものであり、これを支払わないときは、入会権は当然に消滅するか、又は、地盤所有者のする入会権削除の通知により消滅するものである。

本件においては、松茸類採取権の売却により得た金員から売却費用として五分相当額を控除し、残金のうち控訴人は七割相当額を、被控訴人は三割相当額をそれぞれ取得することとし、被控訴人は控訴人に右金員を直ちに支払うことになつており、右金員は入会権の対価であると解すべきである。被控訴人は、昭和三八年秋、本件山林の松茸類採取権を売却し、その代金四八万八〇〇〇円を得た。したがつて、被控訴人は控訴人に対し直ちに右売却代金から売却費用として五分相当額を控除した残額からその七割に相当する三二万四五二〇円を控訴人に支払うべきである。そこで控訴人は被控訴人を相手方として園部簡易裁判所に昭和三九年五月右金員の支払を求める支払命令(同裁判所同年(ロ)第一七号)を申立て、右命令は同月二八日発せられ、その頃、被控訴人に送達されたが、被控訴人はこれを支払わない。また、被控訴人は、昭和三九年度以降も、右割合による金員を支払わなければならないところ、控訴人は被控訴人を相手方として、昭和四六年初め、京都地方裁判所に昭和三九年度分から昭和四五年度分までの入会権の対価合計七四〇万〇五〇〇円の支払を求める訴(同裁判所昭和四六年(ワ)第二三号事件)を提起したが、被控訴人はこれを支払わない。そこで、控訴人は、本件控訴審昭和四七年二月一五日の口頭弁論期日において本件入会権を削除する旨の通知をした。

よつて、これにより、被控訴人主張の入会権は消滅した。

四  抗弁に対する被控訴人の答弁

本件入会権に関し、松茸類採取権の売却により得た金員から売却費用として五分相当額を控除し、残金のうち控訴人は七割相当額を、被控訴人は三割相当額をそれぞれ取得することとし、被控訴人は控訴人に右金員を直ちに支払うことになつていたこと、被控訴人が昭和三八年秋、本件山林の松茸類採取権を売却し、その代金四八万八〇〇〇円を得たこと、右売却代金中売却費用五分相当額を控除した残金のうち七割に相当する三二万四五二〇円を支払つていないことは認める。その余の事実は否認する。入会権の消滅原因については地方の慣習に従うべきところ、控訴人主張の如き事由がある場合に入会権が消滅するものとする当地方の慣習は存在しない。

五  被控訴人の再抗弁

仮に、被控訴人が控訴人に対し、控訴人主張の金員を支払わないことが、入会権を消滅させる原因になるとしても、被控訴人が、右金員を支払わないのは、控訴人が、入会権の存在を否定し、入会権の対価としてはこれを請求せず、委任ないし準委任による金員として請求しており、被控訴人において入会権の対価としての趣旨で控訴人に弁済のため現実に金員を提供してもこれを受領する意思のないことが確実であつたからであつて、被控訴人がこれを支払わなかつたことには正当な事由が存在するものである。被控訴人は、右金員相当額を金融機関に預金して保管し、控訴人が受領拒絶の意思を撤回して受領の意思を表示するならば何時でも支払をすることができるように準備してある。

したがつて、右金員を控訴人に支払わないことについて被控訴人に責はないから、本件入会権は消滅しない。

六  再抗弁に対する控訴人の答弁

再抗弁事実を否認する。

B  控訴人の請求

一  控訴人主張の請求原因

1 第一次請求(不法行為に基づく損害賠償請求)

控訴人は、本件山林を所有するものである。かねてより控訴人は、被控訴人との間で、被控訴人をして本件山林内の松茸類採取権の売却処分をさせ、売却代金の五分相当額を売却費用として控除し残額のうち三割相当金を報酬又は贈与金として被控訴人に取得させ、残額のうち七割相当金を右売却後直ちに控訴人が支払を受ける旨の委任又は準委任契約を結び、毎年これを継続して来た。しかし、控訴人は、被控訴人に対し、昭和三八年八月一二日付同月一三日到達の書面をもつて、右委任又は準委任契約を解除する旨の意思表示をなし、これによつて右契約は解除された。したがつて、以後、被控訴人は、本件山林で松茸類採取権を売却する権限を失つたものであるのにかかわらず、同年秋、本件山林における松茸類採取権を他に売却してこれを採取させ、その代金四八万八〇〇〇円からその売却費用として五分相当金二万四四〇〇円を控除した四六万三六〇〇円を取得した。

右被控訴人の行為は、控訴人の松茸類の所有権を侵害するものであり、これにより控訴人は四六万三六〇〇円相当の損害を蒙つた。

よつて、右損害金四六万三六〇〇円及びこれに対する右不法行為の後である昭和三九年六月一日から右金員完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2 第二次請求(不当利得金返還請求)

仮に、前項の請求が認められないとしても、被控訴人は、何らの法律上の権限なくして前記のとおり松茸類採取権の売却により前記四六万三六〇〇円を取得して同額の利益を得、これがため控訴人に対し同額の損失を与えたものであつて、被控訴人は当時受益の権限のないことを知つていた。

よつて、右不当利得金四六万三六〇〇円及びこれに対する不当利得の後である昭和三九年六月一日から右金員完済まで民事法定利率年五分の割合による利息の返還を求める。

3 第三次請求(委任契約に基づく金銭支払請求)

仮に、以上の請求が認められないとしても、控訴人と被控訴人との間には既述のように委任又は準委任契約が存在し、被控訴人は、右契約に基づき昭和三八年秋、本件山林の松茸類採取権を売却し、その代金四八万八〇〇〇円を得た。したがつて、被控訴人は控訴人に対し、直ちに右売却代金から売却費用として五分相当額を控除した残額からその七割に相当する三二万四五二〇円を支払うべきである。

よつて、右三二万四五二〇円及びこれに対する右金員の支払をなすべき日の後である昭和三九年六月一日から右金員完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

4 第四次請求(入会権の対価の支払請求)

仮に、以上の請求がすべて認められず、被控訴人主張のとおり被控訴人に入会権が存在するとすれば、その法律関係の内容として、松茸類採取権の売却により得た金員から売却費用として五分相当額を控除し、残金のうち控訴人は七割相当額を、被控訴人は三割相当額をそれぞれ取得することとし、被控訴人は控訴人に右金員を直ちに支払うことになつていた。右金員は入会権の対価であると解すべきである。そして、被控訴人は、昭和三八年秋、本件山林の松茸類採取権を売却しその代金四八万八〇〇〇円を取得した。したがつて、被控訴人は、控訴人に対し直ちに右売却代金から売却費用として五分相当額を控除した残額からその七割に相当する三二万四五二〇円を支払うべきであるのに未だその支払をなさない。

よつて、右入会料三二万四五二〇円及びこれに対する右入会料を支払うべき日の後である昭和三九年六月一日から右金員完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被控訴人の答弁

控訴人が本件山林を所有していること、被控訴人が本件山林に入会権を有し、松茸類採取権の売却により得た金員から売却費用として五分相当額を控除し、残金のうち控訴人は七割相当額を、被控訴人は三割相当額をそれぞれ取得することとし、被控訴人は控訴人に右金員を直ちに支払うことになつていたこと、被控訴人が、昭和三八年秋、本件山林で松茸類採取権を売却し、その代金四八万八〇〇〇円を得たこと、右売却代金から右売却費用を控除した残金の七割に相当する三二万四五二〇円を控訴人に支払つていないことは認める。その余の事実は否認する。

三  被控訴人の抗弁

控訴人主張の松茸類採取権の売却代金から五分相当額を控訴した残金のうち控訴人に支払うべき七割相当額は、入会権の対価ではなく、控訴人に対する寄附金、すなわち贈与契約に基づく贈与金である。贈与契約は書面によらないものであるから、被控訴人は、原審昭和三九年七月二七日の口頭弁論期日において右契約を取消した。よつて、控訴人の右請求は理由がない。

また、前述のとおり被控訴人が右金員を支払わないのは、控訴人が入会権の存在を否定し、入会権の対価として請求せず、委任ないし準委任による金員として請求しており、被控訴人において右入会権の対価として控訴人に弁済のため現実に提供してもこれを受領する意思のないことが確実であつたからであつて、被控訴人がこれを支払わなかつたことには正当な事由が存在するものである。被控訴人は、右金員相当額を金融機関に預金して保管し、控訴人が受領拒絶の意思を撤回し受領の意思を表示するならば何時でも支払をすることができるように準備してある。したがつて、右金員を控訴人に支払わないことについて被控訴人に遅滞の責はないから遅延損害金の請求は理由がない。

四  抗弁に対する控訴人の答弁

抗弁事実を否認する。

第三証拠 〈省略〉

理由

一  当事者の各請求は、被控訴人において入会権の存在を主張しその確認を求めるのに対し、控訴人はこれを争い不法行為、不当利得、委任等を主張して金銭の支払を求め、これらが認められない場合に入会権の対価として金銭の支払を求めるものであつて、その基本的主張の相異は、入会権の存否であるから、先ずこの点について判断する。

二  入会権の成立及び存続について

1  被控訴人主張の四ツ谷区に、主張のように四つの部落があること、本件山林が右四ツ谷区の区有林であつたこと、その頃部落住民が本件山林に入り小柴、肥草等を採取し、後に松茸類を採取していたこと、右四ツ谷区は明治四一年頃、本件山林を同区民の氏神で無格社であつた岡安神社の所有としたこと、右神社は、太平洋戦争後宗教法人たる神社として控訴人となり岡安神社の有した一切の権利義務を承継し、本件山林の所有者となつたこと、松茸類採取権を売却して得た金員について売却費用として五分相当額を控除し、残金のうち七割相当額を控訴人が、三割相当額を被控訴人が取得するものとしていたこと、控訴人が被控訴人主張の入会権及び慣行の存在を争い被控訴人の松茸類採取権の売却は控訴人の委任に基づくもので、かつ、その委任契約は終了した等と主張していることは当事者間に争いがない。

2  成立に争いのない甲第三号証、乙第一号証、第二号証の一ないし四、第三、第四号証、第五号証の一、七、原審証人岡源太郎及び同小林健治郎の証言により真正に成立したと認められる甲第一号証、原審証人藤堂寛一郎及び当審証人広瀬洋の証言により真正に成立したと認められる甲第二号証、控訴人代表者本人の尋問結果により真正に成立したと認められる乙第六号証の一、四、第七、第八号証の各一、二、第九号証の一、同号証の二の一、二、同号証の三ないし五、七、第一〇号証の一、二、五、七、九、一一、一二、一六、一八、第一一号証の一、二、第一二号証の一ないし三、第一三、第一四号証の各一ないし四、第一五号証の一ないし三、第一六号証の一、二、第一七ないし第一九号証の各一ないし三、第二三号証の一ないし四、第二四号証の一ないし三、第二五号証の一ないし四、第二七号証の一、二、第二八号証の一ないし四、第三一号証の一ないし五、第三三号証の一ないし四、第三五号証の一ないし四、第三七号証の一ないし四、第三九号証の一ないし四、第四一号証の一ないし三、当審証人吉野折之助の証言により真正に成立したと認められる乙第四六号証、原審及び当審証人藤堂寛一郎、同岡源太郎、原審証人小林健治郎、同仲川吉右衛門、同井上太三郎、同松本長四郎、同山口宇之助、当審証人広瀬洋、同上原利助、同吉野折之助、同佐々木淳治、同土井馨の各証言及び原審における被控訴人代表者吉川佐太郎の尋問結果(証人井上太三郎、同山口宇之助、同上原利助、同吉野折之助の各証言中後記措信しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  京都府船井郡五ケ荘村(現在日吉町)には四ツ谷区を含めて三つの区があり、四ツ谷区には、東組(東谷)、北組(海老谷)、南組(吉野辺)及び中組の四つの部落があり、右中組部落は、四ツ谷区中組地区を基礎とし、総代、伍頭等の職制によつて運営されて来た社団性を有しない中組部落住民の集団であつた。中組部落は、五ケ荘村が昭和三一年他村と合併して日吉町となつたのを機会に、同年四月一日、部落住民の総意をもつて、中組部落会規約を制定し、部落住民の福祉を増進することを目的とし、中組部落に在住する全員を構成員とし、部落住民の生活の改善及び文化の向上をはかること等の部落一般行政に関する事項、農林経営の改善、技術の向上等産業に関する事項、部落所有財産の管理に関する事項等の事業を行う部落会を結成し、部落会を代表し会務を統理する部落会長を置くほか、役員として部長、副部長を置いて事業を執行し、最高議決機関としての総会、これに次ぐ議決機関としての協議会、執行機関として三つの執行部を設け、独立した会計を有する権利能力なき社団である被控訴人部落会を発足させ、中組部落の有した一切の権利義務を承継することとした。

(二)  四ツ谷区は、予てより中組部落内にある本件山林及び北組部落内にある長谷山の山林を所有していた。そして、四ツ谷区住民の氏神である無格社岡安神社の管理、運営、祭礼等を行い、その費用を負担していたところ、同神社の昇格と同神社が収入を挙げうる山林を所有することにより部落住民の右神社のための負担軽減を目的として明治四一年二月二五日、右各山林を岡安神社に贈与した。岡安神社は大正の初め村社となり、昭和二七年一一月宗教法人として控訴人神社となり、岡安神社の有した一切の権利義務を承継し、右各山林の所有権を取得した。

(三)  四ツ谷区内では明治時代以前から、住民は区内の山林に入り肥草、落葉、薪用小柴、正月用小松等のほか、松茸等食用菌類、わらび、ふき等山菜の自然産物を採取収益する慣習があつた。中組部落においても、その部落住民全員が部落内の山林について、区有地であるか私有地であるかを問わず、その所有者が部落住民であるか否かを問わず、また特にその所有者の承諾を得ることなく、肥草、落葉、薪用小柴、正月用小松のほか、わらび、ふき等の山菜、松茸等の食用菌類等自然産物を採取していた。部落による統制は、部落総代や伍頭等によつてなされ、採取する者はその部落住民であり、かつ全員であること、その内容としては右の如き自然産物を採取することとするほか、採取する物の種類、量、時期等については自由であつた。長谷山の山林は早くから松茸類が産出しその地区部落住民によつて肥草、小柴等のほか松茸類も採取されていたが、本件山林はいわゆる禿山で、中組部落住民が採草地として入り肥草等を採取していた。

(四)  明治中期以後になると、一般に危険防止の目的で山焼が禁止され、森林の保護が叫ばれるようになつたので、中組部落においてもその趣旨に添つて統制を進めたため、松樹が成長し、松茸類の産出量が増加し、また、その商品価値が高くなつた。しかし、部落住民は、我勝ちに松茸類を採取するため、その間に争いを生じたり、山林所有者でありながら自己の山林内に発生する松茸類を採取することができないばかりか、山林が荒されることもあり、部落住民、山林所有者らから、松茸類の採取について部落で規制し、森林保護と松茸等の増殖をはかるべきであるとの声が高まり、部落総代ら役員及び長老の間でこの問題を取上げるようになつた。

(五)  明治四一年二月二五日、四ツ谷区から岡安神社に、本件山林及び長谷山の山林が贈与されたが、その後も、従前の慣習に従つて、北組部落住民は長谷山の山林で肥草、小柴等のほか松茸類を採取し、中組部落住民は本件山林で肥草等を採取していた。

(六)  その頃、勤倹貯蓄が奨励され、明治四一年一一月戌申詔書が発布されたのを機会に、中組部落では、従来部落住民が自由にしていた松茸類採取に対する規制と部落共有金蓄積の方法に関する事項について数回会合を重ねて協議し、山林所有者の承諾を得たうえ、明治四二年九月岡安神社社務所で部落総会を開き、従来部落住民の有した松茸類採取権を中組部落において貰い受け、これを売却してその幾分を部落共有金として蓄積する趣旨で、中組松茸山に対する規約書を作成した。その内容は、中組部落内にある山林全部について、毎年九月一五日、松茸類採取権を落札者を部落住民に限定したうえ入札の方法で売却し、売上金の一割をその費用に充て、残額を二分し、その一を地主に地料として支払い、他の一を中組部落共有金として蓄積して部落の福祉事業等の費用に充てること、入札後松茸類採取期は該山林松茸類発生区域内へ何人も立入つてはならないことのほか、落札人と地主及び中組部落との関係、売却の方法等の事務手続及びこの規約は永遠に実行し山林所有者に変動があつても変更はない旨を定めたものであつた。右部落総会の際岡安神社の当時の宮司寺尾盛敬は、右規約の制定について、結構なことだ、と部落役員に述べていた。

(七)  右規約は、中組部落の総会で、昭和八年八月に売上金から売却費用一割を差引いた残高の配分率を地主の地料六割、部落の共有金四割とすることに改正し、昭和一一年八月に入札期日を毎年九月一日としたほか、入札代金の支払方法を改正し、昭和二三年八月に松茸山所有者はその所有山林のうち一枚にかぎり前年の落札価格に当年の平均落札価格との差額を付加した代金で入札によらずに買受けることができることとし、昭和二六年九月には、右買受けは五か所以上の山林所有者に限ることとされ、更に、太平洋戦争後昭和三一年頃までの間に売却代金の分配比率を売却費用を五分とし、その残金について地主の取得分を七割、中組部落の取得分を三割と改められた。

また、太平洋戦争終了後、一時、数人の松茸山の所有者が、右規約及び慣行によらず自己において採取したいとの意向を表明し、そのうち一名が所有山林のうち一筆だけ部落全体の意思に反して事実上自ら採取することにしたが、他の者は部落役員の説得により右意向を撤回して従前の規約及び慣行に従うことにし、また、中組部落住民の壇家寺竜森寺所有の山林については、一時期、売却費用を除いた残額全部を同寺の取得分としたことがあつた。

(八)  前項のとおり規約や慣行の改正及びこれに対する例外を除いては、明治四二年九月の規約制定以来中組部落では、毎年九月頃、松茸類採取権の入札に際し部落総会を開き、部落総代が前記規約書を読上げたうえで入札の方法により中組部落内にある松茸類の採れる山林全部について松茸類採取権を中組部落住民に売却し、その代金を所定の割合により分配して来たが、中組部落の施行する右入札による売却について、部落住民からは勿論、山林所有者からも異議を述べる者はなく、昭和三一年に被控訴人部落会が結成され、中組部落の権利義務を承継し、被控訴人が松茸類採取権の入札売却を施行することになつた後も、本件当事者の紛争を除き何の異議もなく現在まで前記規約及び従前の慣行は守られて来た。

(九)  本件山林は、前記のとおり禿山であつて中組部落住民が毎年山焼し農肥用の草等を自由に採取し、右慣習は、明治四一年二月四ツ谷区から岡安神社に贈与された後も続けられたが、中組部落から岡安神社に対し草山地料等の名目で金員が支払われていた。本件山林を岡安神社に所有権の移転をした後は右山焼を中止したが、その後自然に松樹が生成し、大正末期頃から松茸類が産出するようになり産出量の少ない頃は部落住民が自由に採取していたが、その量がある程度増加し始めた昭和初期以後、中組部落及び被控訴人が前記規約及び慣習に従つて松茸類採取権を入札によつて売却し、岡安神社及び控訴人はこれに異議を述べることなく、右売却代金から一定割合の金員を中組部落及び被控訴人は岡安神社及び控訴人に地料として支払い、岡安神社及び控訴人はこれを受取り松茸山手金等の名目で帳簿処理をしていた。右のような慣行は本件紛争の発生する前年の昭和三七年まで行なわれていた。

(一〇)  本件山林を含めて中組部落内の山林における部落住民による肥草、落葉、薪用小柴、正月用小松等の採取及び部落による松茸類採取権の売却は、慣行として続けられて来たが、本件山林中に岡安神社が植林したり、太平洋戦争後の経済生活及び農業経営に対する社会的変化等により、肥草、落葉、柴等の採取は次第に少なくなり、わらび、ふき等については部落住民が自由に採取する慣行は今なお続けられている。

(一一)  五ケ荘村は四ツ谷区を含めて三区あり、四ツ谷区は中組部落を含めて四部落からなり、他の区もそれぞれ数部落からなつているが、何れも明治時代以前から各地区内にある山林に入り肥草、落葉、薪用小柴、正月用小松等を採取し、松茸類、わらび、ふき等を採取収益する慣習があつたが、これら自然産物の採取収益の慣習は、各地区により、各時代により、また、その生産高、商品的価値の増加等により異つている。松茸類採取についてこれをみると、四ツ谷区内の中組部落以外の部落は松茸類採取について成文化した規約はなく慣習によつている。東組部落は、松樹が少なく松茸類の生産も少ないので部落が入札により売却したこともあるが原則として山林所有者が自由に採取している。南組部落では、山林共有者はその共有林につき独自に入札により売却し一部山林所有者が自ら採取しているが、大部分が中組部落同様部落が入札等により売却し部落と山林所有者が売得金を一定の割合で分配している。しかし生産量は少なく部落の収入はわずかである。北組部落は、その部落内に控訴人の所有する長谷山があり、かつて部落が全山林について入札により売却していたが、現在は小面積の山林、所有者が一筆しか所有していない山林については各所有者が採取している。その他の山林については長谷山も含めて部落が入札売却し、その売却代金は経費を五分差引き残金の三割を部落、七割を山林所有者が取得していたが、昭和四五年頃から部落の取得率を二割に改めた。また、佐々江区では山林一筆を山林所有者に残し他の山林について部落が一括して買取り農協を通じて販売しその経費と残金三割を部落の取得としているが、区有財産が多いので右収入はあまり問題とされていない。

以上のとおり認められ、証人井上太三郎、同山口宇之助、同上野利助、同吉野折之助の各証言のうち右認定に反する部分は信用できないし、ほかに右認定を覆すに足る証拠はない。

3  入会権とは、一定の地域の住民(単にその地域に居住しているというだけでなくその入会集団の構成員という意味において、また、世帯を代表する者という意味において。)の共同体が一定の土地(主として山林原野)に対して総有的に支配するところの慣習上の物権である、ということができるが、それは古典的共同利用形態においては、住民が団体の統制にしたがつて土地の自然産物を採取し収益するものであり、右にいう団体とは構成員と別個の権利主体としてではなく多数構成員の総体としての入会集団である、と解すべきである。

本件においては、中組部落では、明治時代以前から部落の統制に服しながら、その部落住民は、部落内にある全山林について肥草、落葉、薪用小柴、正月用小松のほか、わらび、ふき等の山菜、松茸等の食用菌類等の自然産物を採取していたものであり、当時本件山林はいわゆる禿山で草のほかは産出されていなかつたので肥草を採取していたのである。右のような利用形態は、これにより部落住民は生活上の利益を受け得るし、しかも、山林所有者はこれにより損失となるわけではなく、山林経営上利益となることもあつて、相互依存の立場から利用収益が行われていたもので、このような事実状態が長年月継続したことによりこれを尊重すべき事実状態となり、かつ、部落住民及び山林所有者の間にもこれを尊重すべきであるとの意識となつて、本件ではすくなくも明治時代にはこの地方の慣習となつていたものと認められ、本件山林を含む中組部落内にある全山林について、慣習により自然産物の採取を内容とする共有の性質を有しない入会権が成立していたものということができる。

入会権はその土地の所有権に変動があつても消滅するものではないから、本件土地の所有権が四ツ谷区から控訴人の前身岡安神社に移転してもなお存続するものである。また、本件の如き入会権の場合に、その採取権はその土地に産出する前記の如きすべての自然産物に及ぶものであつて、入会権成立の後に、その土地に新たに別種類の自然産物が産出するようになつた場合にも同様である、と解すべく、本件山林においては入会権が成立した後である大正末期頃に漸く松茸類が産出するようになつたのであるが、この場合でも当然本件入会権はこれに及ぶものである。

そして、入会権の利用形態、行使の方法の慣習は、社会経済、社会意識の進化によつて変化するのは当然である。本件の如き古典的共同利用形態の入会権は、社会変化の緩慢な徳川封建時代にはその変化にさして見るべきものはなかつたであろうが、徳川時代から明治時代へ、そして大正時代を経て現代へ、経済、社会等が一般に近代化されると共に、松茸類の産出量が増加し、その商品価値が高まるにつれ、部落住民と山林所有者との間における相互依存の関係がくずれ、所有権優位の意義も一因となり紛争が発生することもあつて、従前の形態を維持することが困難となるのである。そこに入会権の近代的合理化をはかるべく、慣習に変化を生じ、或は、入会集団による統制は従前の緩やかなものから右に応じて強いものへと移り、入会集団の構成員の総意により入会権の共同利用形態を、自給経済的形態から貨幣経済的形態へ移行させ、或は、個別的利用形態から直轄利用形態へ変化させることも当然の帰結であつて、そのようなことがあつても、入会権は同一性を保ち存続するものである。中組部落は、松茸類以外のものの採取については、その利用形態に変更を加えることをしなかつたが、松茸類の採取については、明治四二年九月、その構成員全員の総意によつて前記松茸山に対する規約書を作成し、従前部落住民各自が松茸を採取していたものを部落が直接松茸類採取権を入札の方法により売却することとしたのは、松茸類発生の増加とその経済的価値の高まつたことに対応するため、入会権を有する部落住民が各自松茸類を採取するとの従来の慣行を、地盤所有者の承諾を得たうえ、入会集団の構成員たる部落住民の総意によつて明文化した規約を作成することにより、中組部落が直接採取権を行使することとしたもので、それは入会権の利用形態を近代化の方向へ改めたものである。

本件において、入札による売却代金から売却費用として一割を控除した残金につき山林所有者と中組部落との分配率を、当初それぞれ五割宛であつたものを後に六割と四割に変更し、更に売却費用を五分とし残金について山林所有者が七割、中組部落が三割を取得することに変更したのも、結局経済、社会の状勢の変化にともないこれに適合するように変更したものとみられる。かくて、中組部落は、松茸類採取権の買受資格を中組部落住民に限定し、売却代金のうち中組部落の取得分は同部落の共有財産として部落の経済的基礎とすると共に、部落の生活改善、農業経営改善事業の費用に充て、部落住民の利益に帰属せしめているのである。

また、昭和三一年に被控訴人部落会が結成されたが、それは、実質的に中組部落と同一の集団であり、中組部落の権利義務と共に本件入会権をも承継したもので、被控訴人は本件山林について現に前記の内容による入会権を有するということができる。

三  入会権消滅の有無について

1  被控訴人が松茸類の採取権の売却により得た金員から売却費用として五分相当額を控除し、残金のうち控訴人は七割相当額を、被控訴人は三割相当額をそれぞれ取得することとし、被控訴人は控訴人に右金員を直ちに支払うことになつていたこと、被控訴人が昭和三八年秋本件山林の松茸類採取権を売却しその代金四八万八〇〇〇円を得たこと、被控訴人が控訴人に対し右売却代金中売却費用五分相当額を控除した残金のうち右七割相当額の三二万四五二〇円を支払つていないことは当事者間に争いがない。

2  前項掲記の証拠によると、四ツ谷区においては何れの部落においても、おそくも明治時代末頃から、その部落内の私有地である山林原野に立入り、肥草、柴、正月用小松、松茸類等自然産物を採取した場合には、その山林所有者に対し一定額の金員を支払つていること、中組部落においても同様であつたこと、本件山林については岡安神社が所有権を取得した後まだ農肥用の草を採取していた頃は草山地料等の名目で金員を支払い、松茸類を採取するようになつた後は中組部落及び被控訴人は岡安神社及び控訴人に地料として一定割合の金員を支払い、岡安神社及び控訴人はこれを受取り松茸山手金等の名目で帳簿処理していたことが認められ、右認定事実によると、被控訴人が控訴人に対し松茸類採取権の売却により得た金員中支払うことになつていた前記七割相当額の金員は、入会権の対価たる入会料であると解するのが相当である。

3  本件訴訟記録及び弁論の全趣旨によると、控訴人は被控訴人を相手方として園部簡易裁判所に昭和三八年度に支払を受けるべき前記七割相当額の金員の支払を求めて昭和三九年五月支払命令を申立て右命令は同月二八日発せられその頃被控訴人に送達されたこと、控訴人は被控訴人を相手方として昭和四六年初め京都地方裁判所に昭和三九年度分から昭和四五年度分までの売却代金相当額の合計七四〇万〇五〇〇円の支払を求める訴を提起したが、被控訴人がこれを支払わなかつたこと、控訴人が本件控訴審昭和四七年二月一五日の口頭弁論期日に右金員支払の請求につき予備的に入会料の支払を求めたこととしてこれを支払わないから入会権を削除(消滅)する旨の意思表示をしたことが認められる。

4  ところで、本件入会権は共有の性質を有しない入会権に属するが、本件入会権の存在する中組部落地方に入会権の対価たる入会料を支払わない場合におけるその消滅に関する慣習の存在についてはこれを認めるに足る証拠はない。そこで、これについては、総有的権利関係の一般原則ないし多くの入会権に共通する一般的慣習等を斟酌して判断すべきものと解するが、成立に争いのない乙第四三号証の一ないし五、第四四号証の一ないし四、第四五号証の一ないし一五、第四八ないし第五五号証及び弁論の全趣旨によれば、入会権は入会料を支払わない場合に当然に、又は、地盤所有者の通知によつて消滅するとの慣習のある地方もあるが、かかる慣習のない地方もあり、かかる慣習の存在が一般的な慣習であるとはいい難いことが認められる。しかも、慣習はその成立過程、これに従い入会権行使の経緯等各地方における相異が著しいのでたやすく或る地方の慣習を他の地方の慣習として適用すべきものではないと解するから、右入会料を支払わない場合に入会権は消滅するとの一部の地方に存する慣習を本件に適用することはできない。

仮に、入会料を支払わない場合に、入会権は当然に、又は、地盤所有者の通知により消滅すると解するとしても、それは入会権者において債務不履行の責任を負うべき場合でなければならないと解すべきであるが、成立に争いない甲第四号証、当審証人岡源太郎の証言、原審における被控訴人代表者吉川佐太郎、当審における控訴人代表者の各尋問結果及び本件訴訟の経過によると、控訴人は、被控訴人が入会権を有することを強く否定し、被控訴人が松茸類採取権の売却をしているのは控訴人の委任又は準委任によるものである等と主張し、昭和三八年四月二四日付通告書で同年から控訴人において右売却を実施する旨通告し、同年八月一二日付書面で委任又は準委任契約を解除する旨の意思表示をし、被控訴人の松茸類採取権の売却を妨害する態度に出たこと、前記支払命令の申立においても委任又は準委任に基づく金員であるとしてその支払を求め、被控訴人の異議により本件訴訟に移行した後も右主張を維持し、被控訴人の入会権の存在確認を争つていること、京都地方裁判所に昭和三九年度以降の金員の支払を求めて提起した訴も、被控訴人の松茸類採取権の売却は控訴人の所有権を侵害するものであるとして不法行為を原因とする損害賠償の請求であり、後に至つて予備的に入会料の支払を求めたものの、原則的には被控訴人の入会権の存在を争つていること、被控訴人において控訴人が被控訴人の入会権を認めるならば直ちに入会料を支払う意思がある旨及びその支払のできるように毎年各年度の控訴人に支払うべき金員は金融機関に預金してあり、その旨を述べているのに控訴人はこれに応ずる態度を示していないこと、本件第一審裁判所で、昭和四四年三月二四日控訴人の請求を棄却する旨の判決が言渡されるとこれに対し控訴を申立て、控訴審における昭和四六年六月三〇日の口頭弁論期日に至るまで従前の主張を繰返えし入会料としての受領を拒否する態度をとり続けて来たことが認められ、ほかにこれを覆すに足る証拠はない。そうすると、本件入会料については、控訴人において入会料名義では受領しない意思が確実であつたものというべく、したがつて、被控訴人においてその弁済のため提供をしなくても債務不履行としての責任を負わないといわなければならない。

控訴人は、本件控訴審における昭和四六年六月三〇日の口頭弁論期日において、入会料としてその支払を求める旨の意思を表明したものの、それは予備的に請求されているものであつて、本件第一審以来主張して来た委任ないし準委任に基づく先順位の請求を維持しているばかりでなく、更に、被控訴人の松茸類採取権の売却は不法行為に該当し、仮に、不法行為に該当しないとしても不当利得に該当するとして新たな請求を追加し、かつ、請求金額を拡張し、入会権の存在を強く争つている経緯からみると、控訴人に前記の受領拒絶の態度を撤回し、被控訴人において入会料を提供すればこれを受領する旨を表明して自己の受領遅滞の態度を解消したものとはいえないから、前記のように単に予備的に入会料の支払を催告したのみではその不払を理由として入会権を消滅させることはできない。

したがつて、控訴人の入会権は入会料の不払により消滅した旨の主張は理由がない。

四  そうすると、現在も、被控訴人は本件山林について松茸その他食用菌類を採取する入会権を有するものである。

そして、被控訴人の本件山林における松茸類採取は、右入会権に基づくものであつて、右採取権の売却は控訴人に対し不法行為(控訴人の第一次請求)に該当するものではなく、被控訴人の売却代金の取得は不当利得(控訴人の第二次請求)に該当するものではなく、また、右採取権の売却は控訴人の委任又は準委任(控訴人の第三次請求)によるものではない。

五  入会権の対価の請求(控訴人の第四次請求)について、

控訴人の所有する本件山林について被控訴人が入会権を有し、被控訴人が松茸類採取権の売却により得た金員から売却費用として五分相当額を控除し、残金のうちから控訴人は七割相当額を、被控訴人は三割相当額をそれぞれ取得することとし、被控訴人は控訴人に右金員を直ちに支払うことになつていたこと、被控訴人が昭和三八年秋、本件山林の松茸類採取権を売却しその代金四八万八〇〇〇円を得たこと、右売却代金から右売却費用を控除した残金の七割に相当する三二万四五二〇円を控訴人に支払つていないことは当事者間に争いがない。

右七割に相当する金員は前記認定のとおり本件入会権の対価たる入会料である。したがつて、被控訴人は控訴人にこれを支払うべき義務がある。これをもつて寄附金であるとして、これを前提とし贈与契約を取消した旨の被控訴人の主張は、その前提を欠き失当である。

しかし、先に認定したように、被控訴人が控訴人に入会料の支払をしなかつたことは控訴人が右入会料の受領拒絶の意思を明確にしていたからであつて、被控訴人は、その支払をしなかつたことに履行遅滞の責を負わないというべきである。この点に関する被控訴人の抗弁は正当である。したがつて、入会料の遅延損害金の支払を求める部分は失当である。

六  結論

そうすると、その余の点について判断するまでもなく被控訴人の入会権の存在確認請求は理由があるからこれを認容し、控訴人の委任又は準委任に基づく金銭請求(第三次請求)は理由がないからこれを棄却すべく、これと同旨の原判決は正当であるから本件控訴を棄却することとする。また、控訴人が当審で新たにした不法行為(第一次請求)及び不当利得(第二次請求)に基づく金銭請求は理由がないから棄却することとする。控訴人の当審で新たにした入会料の支払を求める請求(第四次請求)は、被控訴人に対し三二万四五二〇円の支払を求める限度で理由があるからこの範囲で請求を認容し、その余は理由がないから棄却することとする。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条に従い主文のとおり判決する。

(裁判官 坂井芳雄 下郡山信夫 富沢達)

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